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月別アーカイブ: 2017年3月

感情と意思決定 その5

4回に渡って、感情がその人個人に与える影響について紹介してきました。
今回は感情が他者との関係でどう働くのかを紹介していきたいと思います。

「公共財ゲーム」と呼ばれる研究です。
このゲームは、他者と協力する事で大きな利得が得られるものの、他者をあてにして自分が怠けたくなる状況(ただ乗り)をつくりだし、人間の行動を評価する事が可能なゲームです。 
5名でグループを作り、最初にそれぞれが10,000円を与えられます。そして、参加者それぞれが手持ちの10,000円の中から、いくらをグループのために支払うかを決定します。実験者はそれぞれが出し合った金額を合計し、その倍の金額を5名全員に均等に分配する、といった具合です。全員がたくさんの金額を支出すると、それぞれが得られるリターンもより多くなるものの、自分は支出せずに、つまりリスクを取らずにお金を儲けようとする戦略を取ることも可能です。

あるグループの実験参加者には素早く決断を下すように(10秒以内)、もう一方のグループの実験参加者にはゆっくり決断するように(10秒以上)指示がされました。その結果、素早く意思決定を求められる条件の方が、じっくり考える条件よりも、より多くの金額を支出する、すなわち協力的になることが示されました。

つまり自分が所属する集団の中では、人間は熟慮しなくとも、自ずと協力的になる自動的な感情の働きを備えているということです。

思いのほか、私たちは協力的で、他者との良好な関係を築くことに長けているのですね。

京都大学こころの未来研究センター 阿部修士淳准教授の寄稿より

感情と意思決定 その4

トロッコジレンマと歩道橋ジレンマの道徳的判断についての続きです。

生きた人間の脳活動を調べて、道徳的判断の際、脳のどの部分が活動するのかという研究があります。

トロッコジレンマ、つまり1人を犠牲にしてでも5人を助けようとする行為が比較的許容されるジレンマについての道徳的判断を行う時には、「背外側前頭前野」と呼ばれる領域の活動が確認されました。この領域は論理的思考や合理的判断に関わる領域で、「クール」な、なお言えば、「冷徹」な決断を導く処理をしたということになります。

一方、歩道橋ジレンマ、つまり1人を犠牲にしてでも5人を助けようとする行為が比較的許容されないジレンマについての道徳的判断を行う時は、感情の処理に関わると考えられる内側の前頭前野の活動が認められました。

歩道橋の上から自らの手で人を突き落とすという行為が感情を揺さぶるものであり、結果として意思決定に影響を与えるという研究結果から、「人間は合理的・理性的な存在である」という価値判断はもはや古い考えであると言わざるをえません。

つまり、理性の働きだけでなく感情が私たちの意思決定に作用する事で、より多くの道徳的判断を導きうるということです。

京都大学こころの未来研究センター 阿部修士淳准教授の寄稿より

感情と意思決定 その3

金銭の価値判断に関わる意思決定に続き、道徳的判断も感情に影響されてしまうという研究事例です。

以下はトロッコジレンマと呼ばれるものです。
制御不能になったトロッコが近付いており、このままだと5人の作業員が轢き殺されてしまう。あなたは線路のそばの分岐器の近くにいる。あなたがトロッコの進路を切り替えれば、5人は確実に助かる。しかし、切り替わる進路の先にも1人の作業員がおり、その作業員は轢き殺されてしまう。あなたが進路を切り替えることは、道徳的に許されるだろうか?それとも許されないだろうか?

これまでの研究からは、分岐器を使って進路を切り替える、つまり1人を犠牲にしても5人を助けようとする行為が道徳的には許容される、と判断する方が多数派であることが知られています。
もちろんこうしたジレンマに正解などなく、多数派だからといってそれが正しいとは言えません。ここでの重要なポイントは5人を助けようとする意思決定を行うのが多数派であるということです。

次はどうでしょう。歩道橋ジレンマというものです。
制御不能になったトロッコが近付いており、このままだと5人の作業員が轢き殺されてしまう。あなたは線路の上の歩道橋に立っており、そばに体の大きなAさんがいる。Aさんを突き落とせばトロッコは確実にとまり、5人は助かるがAさんは死んでしまう。あなたがAさんを突き落とすことは、道徳的に許される?許されない?

これまでの研究からは、先ほどのトロッコジレンマとは異なり、1人を犠牲にして5人を助けることは道徳的に許されないと判断する人が多いことが知られています。

どちらのジレンマも、1人を犠牲にして5人を助けるかどうかを選択するという意思決定場面です。にも関わらず、なぜトロッコジレンマと歩道橋ジレンマで、私たちの道徳的判断は変わってしまうのでしょうか?

続きはまた明日。

京都大学こころの未来研究センター 阿部修士淳准教授の寄稿より

感情と意思決定 その2

人間の意思決定が決して合理的なものでなく、感情を含めた無意識で自動的な情報処理の影響を受けるものであるとした実験として「プロスペクト理論」があります。

以下の二種類のくじのどちらかを引かないといけないとしたらどちらを選択しますか?
① 確実に7万円をもらえるくじ
② 70%の確率で10万円もらえるが、残りの30%の割合で
  何ももらえないくじ

こうした二択では、①と答える人が多数派です。

次の二択。
① 確実に7万円の罰金を払うくじ
② 70%の確率で罰金は10万円になるが、残りの30%の
  確率で罰金がゼロになるくじ

こうした場面では損失が0になる②の方に賭けてしまいがちであることが知られています。

私たち人間は利益を確定させ、損失を回避しようとする選択を行う傾向にあります。
この傾向は「損失回避性」と呼ばれます。
私たちは、同額の利益と損失では損失の方を過大評価する傾向があり、
損失を回避しようとする動機が強く働きます。
そしてこの傾向は、論理的思考や合理的判断によって生まれるものではなく、感情に由来していることが種々の実験から分かってきています。

こうした損失回避性は、進化の歴史に由来する可能性が指摘されており、
好機よりも脅威に対してすばやく対応する生命体の方が、生存の可能性が
高まるという解釈からは、なるほどと納得させられます。

京都大学こころの未来研究センター 阿部修士淳准教授の寄稿より

感情と意思決定 その1

月報司法書士2月号に興味深い記事があったのでご紹介します。

私たち人間にとって、生きるということは意思決定の連続です。
食事のメニューを決める、着る洋服を決める、といった日常的なことから、
進路の選択や配偶者の選択といった人生における重大事まで、
人生において意思決定は途切れることなく続きます。

こうした意思決定は、自分自身の信念や思考に基づく
合理的な判断によりなされると思いますよね。

ところが、私たちの意思決定は実際には、自分の意識の外で自動的に
起こるこころの働き、特に感情の影響を大きく受けるのだということが
心理学などの研究で分かってきているらしいのです。

次回から、具体的な事例をご紹介していきたいと思います。

京都大学こころの未来研究センター 阿部修士淳准教授の寄稿より